おまけ

本文に入れたかったけど気づいたら省いていたネタたち。お察しください。

「クロア!」
 突き飛ばすようにクロアの家の扉をあける。ノックもせずに無礼だとは自分でも思ったが、逸る気持ちが止められなかった。
 そこには、鎧を脱いで私服に着替えんとしていた、クロアが立っていた。
「って、きゃー! クロア服着てないじゃない! 半裸っていうかほぼ裸じゃない!」
「ノックもせずには言ってきたのはそっちだろう!」
「いやあ! ココナちゃんココナちゃん逃げてー! ほぼ裸のクロアが同じ屋根の下にいるー!」
「いや! さすがに同じ屋根の下で暮らしていたら、ほぼ毎日そんなシチュエーションはあるぞ!?」
「ほぼ毎日ココナちゃんに裸を見せてるって言うのね!?」
「違う! 拾うところはそこじゃない! そして妙な解釈をつけるな!」
「ほぼ裸のココナちゃんと、ほぼ毎日同じ屋根の下にいるシチュエーションがあるというのね!?」
「間違っちゃいないが語弊がある! むしろ誤解しか生まれない!」
「なーんちゃってっ。冗談だよ冗談!」
「俺のキャラクターに向けたテロだ!」


「泣かせたわね」
「あれはクローシェ様にも非がありますよ。というか理由のおおまかクローシェ様ですよ」
「泣かせたから怒るわね。メッ、私っ!」
「そ、そんな、一度も見せたことのないキャラに。俺にもその調子で叱ってください」
「私の怒りが収まるまで、具体的には向こう半年は休みがもらえないと思いなさい」
「なにか盛大に差がありませんか」
「喜んで受けなさいこの犬が」
「喜んでお受けします」


 きらめく日の光を受けて、クローシェは颯爽と去っていった。重大な決意を告げた彼女は、その理想へのわずかな一歩となるであろう、たまった資料の束にこれから挑みに行く。
 取り残されたクロアとルカは、その眩しい姿の余韻に浸りながら、木陰で立ち尽くしていた。
 涙にぬれた顔をどうにかしないと、とルカが思っていると、クロアがハンカチを差し出してくれた。ありがとうという声は、まだ涙声だった。
「……すごいね、クローシェ様は」
「そうだな。すごいな、クローシェ様は」
 世界が好きだといっていた、世界の人が好きだといっていた、そんな自分が好きだと迷いなく言い切った。
 そんな姿が、ひどく眩しい。
「クロアが思わず忠誠を誓っちゃうのも、わかるな。あんな姿を見させられたら、ついて行くしかないって感じるもの」
 ああ、と呟いたクロアの顔は、誇りと自信に満ちた顔をしていた。主に絶対の自信を持っているものの表情だ。
 それをハンカチに顔を埋めながらひっそり見上げて、我がことのように誇らしく思った。妹の姿に誇りを見出すそんな彼も、自分には誇りだった。
「ルカも、すごいな」
「……もういいよう」
 先ほどまでの大告白大会を思い返して、頬が熱くなる。あの時は勢い返してしまったが、思い返せば返すほど、クローシェがどれだけ自分を思っていてくれたか、クロアがどれだけ自分を見ていてくれたのかがわかる。嬉しいのは確かだが、今はまだ、それよりまず先に照れが生まれる。
「本当に、すごいと思う。ルカは人の心が分かるんだな」
「それこそ買いかぶりすぎだよ。人の心が分からなくて、いつも悩んでる」
 突飛な言葉にさずがに苦笑した。自嘲でもなんでもなく、それがわかっていればきっと、こんな恥ずかしいことにはなっていなかったろうに。
「それでも、俺よりはずっと分かってる」
 クロアがそこまで思うのは多分、ダイバーズセラピとして培ってきた技術だ。人の心理と欲求を見抜き、それを提示する。この仕事で食いつないでいくには必須の技能で、ちょっとしたセラピストなら誰しも備えている技能だった。
「セラピストとしてそういうことも必要だったから、確かに少しだけ、そういう技術は持ってるかも」
 それでもそんなに珍しいものではない。セラピストでなくても、客商売に関わる仕事に就くものなら、お客の顔色を見て応対を変えることなど日常のことだろう。
「でも、他人の悩みを自分のことのように悩める人なんて、そうそういない」
 顔を上げる。真っ直ぐにこちらを見ていたクロアと視線がぶつかった。
 クロアは嘘をつくときには目をそらす。逆に、彼が真っ直ぐにこちらを見ている分には、彼の言葉に嘘や曖昧な気持ちはない。
「俺の悩みに、ルカは一緒に悩んでくれていただろう」
「悩んでいたわけじゃ、ないよ。クロアが辛そうだから、どうにかしたいって思ったの」
「どうにかしたくて悩んでくれたんだろう」
「……まあ、そうともいえるけど……」
 なんだか言いくるめられた気がして釈然としない。むう、と唇を小さく尖らせた。
「そりゃ、どうしてあげればいいかなって悩んだよ。でもそれって二人の悩んでいたことで私も悩んだんじゃなくて、二人が悩んでいる姿に私は悩んでいるんだから、自分のことのように悩むっていうのとは、ちょっと違うと思う」
 そうだ、自分は二人の悩みに共感できなくてなかなか踏み込めなかった。自分にはない悩み、自分には持ち得ない悩み、自分には手の届かない悩み。
 それらは全て、自分の悩みではない。クロアの、クローシェの悩みだ。
 今度こそ自嘲気味に微笑んで、吐き出す。
「私は結局、自分のことばっかり考えているんだね」
「他人のことばかり考えている自分の事を考えているんだろう」
 また何か上手いことを言われた気がする。
「ルカも、たいがい自分のことを大切にしないよな」
 聞き覚えのある言葉だった。いや言った覚えのある言葉か。
「……何が言いたいのかなー、クロア君」
「別に。思ったことを言ったまでだ。ルカは、他人のことで悩みすぎて、それを自分の悩みにしてるんだ」
 その言葉が、何故かぐさりと胸に刺さる。あれ、なんだかひどく腑に落ちた。
「俺の悩みは俺の悩みだよ。同じ原因でも、クローシェ様の悩みとは全然違う。俺にはクローシェ様の悩みはわからなかった。
 それで、ルカは、どっちも自分の悩みとして一緒くたに飲み込むんだ」
 クロアはクローシェの悩みが分からない。その言葉に、ひどく違和感があった。
「だって、二人ともインフェルさんのことで悩んでて」
「ああ、俺もクローシェ様も、あいつのことで悩んでた。でも、同じ人間のことで悩んでいても、俺とクローシェ様の悩みは違ったろう?」
 彼女から助けられたその礼として、どうにかして感謝を返したいとクローシェは悩んでいた。
 彼女を助けることができなかったと、クロアは後悔していた。
 言われてみれば、二人とも同じ人物を原因としながら、その中身は全く違うもののようだった。
 そして、ルカの悩みは、そんな異なる二つの人間と悩みをどうにかしてあげたいというものだった。
「ルカは、人の悩みを悩みすぎなんだ」
 そうなのだろうか。
「俺の悩みは俺の悩みだ。俺の痛みは俺の痛みだ。ルカが、それを思いやってくれるのは嬉しい。でもだからってそれでルカが心を痛めて悩むのは悲しい」
 クローシェ様もきっとそうだ、と続ける。
 自分の悩みが相手を悩ませる。悩んでほしくないのに、自分の存在こそが悩ませる原因なのだ。
「俺の全部を無理やりに知ろうとして、それを受け止めてくれなくていいんだ」
 まるで拒絶のような言葉だったが、そこから感じたのは全く逆の感情で、いうなれば、いたわりの感情だった。
「俺の様子がおかしいと思ったなら、そう言ってくれ。変に遠慮して、それでルカが辛い想いをする方が、俺にとって一番辛いんだ」
 眉根を寄せた真摯な表情で、告げられた。その眼差しに思わず視線をそらす。
 ぐす、と鼻がなったのを、聞き取られていないといい。横目で見ると、先ほどまで真っ直ぐにこちらを見ていたクロアは、今ではそっぽをむいていてくれる。
 代わりに自分の手をそっと握ってくれて、そこから伝わるぬくもりが、嘘のために視線を逸らしているのではないと教えてくれる。
 これは、照れている。
 珍しく饒舌にしゃべり、そしてしゃべりすぎたと照れている。もしかして、あの木陰に立っている間中、ずっとこのことを考えていたんだろうか。
 その事実に気づいて、まだ涙が浮かんでいるのにも関わらず、おどけた調子で口を開いた。
「じゃあ、クロアが悩んでいるときに、私にどうして欲しいと思う?」
「ルカが笑っていてくれるなら、俺に悩みはないよ」
 ああ、悔しい。どうしてこちらの言い分を、こんなにまで綺麗に防いでしまうのか。
「私こそ、クロアが笑っていないと苦しいの。それなのに、苦しんでいるクロアを前にしても笑っていてと強制するんだね」
「そんな俺じゃ駄目か?」
 ああもう、本当に言葉もない。わかっているとしか思えない。
 いやこれはわかっている。絶対そうだ。クロアはいつだって淡々としている風に見せかけて、肝心なところで全部をさらっていく。昔からそうだった。今もってそれは変わらないらしい。
「私は、そんなクロアが大好きだよ」
 だから反撃とばかりに、とびっきりの笑顔を向けてやった。

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